日常の出来事を気楽に載せています。 木漏れ陽が当たる公園のベンチのように、のんびり・ホッと出来る場になればいいな!

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一歳と一升餅

2017-05-08 (Mon) 16:38[ 編集 ]
去年の5月7日深夜、近くに住む長男のお嫁さんが出産間近というので、成城の病院まで車を出した。まだ早いというので返された。早朝5時過ぎに陣痛の間隔が狭まったので、再度病院に連れて行き、その6時間後に女の子が産まれた。

そんなバタバタ騒ぎから早くも一年が経ち、孫娘は大した病気もせずに成長している。
誕生日のお祝いをすると言うので、昼に合わせて長男宅に向かった。そして、息子の1歳時には考えもしなかったような、今どきの演出が準備万端で待っていた。

長男の家に入って直ぐに、お揃いのオリジナルTシャツに着替えた。食卓の壁には、Happy Birthdayのデコレーション。お昼時で孫用に出てきたのは、野菜とマッシュポテトで作ったミッフィーだ。Happy birthday to youの歌とともにママが出したのは、好きなイチゴが沢山のこれもお手製のケーキだ。これらを手で半分は落としながら口に運び、時折ストローボトルのお茶飲む。食欲旺盛で頼もしい。

食事が終わって一息つけると、いよいよメインイベントの「一升餅」の儀式だ。名前が朱で書いてある丸い背負い餅と、4つに小分けした紅白の餅が用意してあった。一升の餅は2kgほどになるから、背負い餅もそれに近い筈。それをうちからのプレゼントの小さなリュックに入れる。が、入り口が狭く入らない。それではと、代わりに同じ重さの小分けの4個を入れた。最初のうちは、なかなか立てなかったが、一旦立つとトコトコと嬉しそうに歩き回った。そして次はそのまま6枚ほどの選びカードで、どれを取るかでの将来占い。お金とマイクの二枚を取って口に持っていった。これは芸能界でお金持ちになると大笑いの大人をみて、孫も声を出して笑った。

一升の儀式は、一生食べ物に困らず、健やかなようにと願うものだが、長男も自分の信州安曇野の実家で今は亡き父がやってくれた。その時には、信州独特の風習だと思っていたが、長男が孫にこれをすると聞いて調べると、呼び方は違っても全国にあるようだ。
父が長男にしてくれたのは、風呂敷に包んだ餅を背負わせ、更に子供ごと穀物の選別に使う“箕”(みの)」に乗せるものだった。調べるとこれは信州それも中信地域だけの慣わしのようだ。10kg以上も乗せた箕を揺っている最中に、父が大きい声で何かを言っていた。後で分かったことだが『秕(しいな=中身のないもみ殻部分)は出て行け、実は残れ』だったようだ。節分の『お庭外、福は内』に似て、もみ殻のような悪い部分は出て行き、良いところだけ残って欲しいとの願いのようだ。長男の今がそうなっているかどうかは別として、
この時の写真を袋戸の奥からアルバムを出して探し出し、紙焼きにして長男に渡した。

これが終わる頃になると、大人は疲れ、元気なのは孫だけとなった。スマホでの記念撮影の後、お茶とアイスクリームで〆とした。

自分達が子供を育てた時は、初めての経験の日々というのも手伝って、分身としての可愛さだった。これが孫となると一世代離れて直接育てているわけではなく、自分の血をつないだ存在としての愛らしさに、変わっているように思う。
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初孫

2016-05-10 (Tue) 15:28[ 編集 ]
結婚したのが30歳、長男が生まれたのが32歳、次男が36歳、当時は少し遅めの方だった。近頃の結婚適齢期は、女性の社会進出もあって出産年齢も遅くなっているようだ。

長男・次男とも30歳を超え、ようやく長男が子供を授かった。産婦人科診察での3D画像や4D動画でお腹に居るときから、手で頭を叩いたりして元気な女の子だと分かっていた。しかし、外の空気を吸うというのは容易なことではない。長男が正月に近くに転居してきたので、いざという時に電車で5駅先成城学園の病院までの車はうちで出すことにしていた。

出産予定日になってもその気配がなく、翌日も無かった。三日目の深夜電話があって陣痛が来たという。0時を回った頃に病院ら連れてくるようにとのことで、車で迎えに出た。深夜の世田谷・町田線は空いていて、小雨の中15分で病院に着いた。聞いたり・サイトで見たりして分かってはいたが、竣工したての病院はこの街に相応しくしゃれた建物で、何も彼も綺麗だ。車を正面脇の駐車場において、中に入った。二階の診察室に入れて、長男と自分は椅子にかけたが、足下を見ると廊下の白いカーペットの上に泥の足跡がしっかりと付いている。新しい駐車場はまだ草が生えきらず、この雨で土が剥き出しになっていたからだ。泥はエレベーター、一階の通路、玄関マットまで足跡として残っていた。設計士や病院もそこまで計算に入れなかったに違いない。

暫くして、妊婦の居る部屋に招き入れられた。お嫁さんは計測器をつけられ、陣痛の間隔や強さ、赤ちゃんの脈拍を測られていた。一時間経った頃、看護師が「未だ未だだから、いったん帰って・・。我慢できないくらいの痛さになって来て丁度いいから」。このまま入院でもよさそうなものをと思いながらも、一旦、マンションまで送り届けた。

自宅に帰ってベッドに横になるが気になって眠れなかった。録画のテレビドラマを見ていると5時頃に電話が鳴り、再度迎えに行った。5時を過ぎると、幹線道路には車が少し多くなり、後の席で呻いている妊婦の声を聞くと一刻も早くと気がせく。それでも20分で到着して、泥に気を付けながら入ると、そのまま分娩室に入れられた。長男は残り、小生の運転手の務めはこれにて終了。

家に戻り横になるが、長男やお嫁さんのお父さんからの連絡でウトウト程度だった眠りが熟睡に変わった11時半に「生まれたよ」と長男からLINEが入った。3240gで母子ともに大丈夫だという。
面会開始時刻の2時に着くように、寝不足で運転は危険と家人と電車で向かった。

赤ちゃんは大きな声で泣き、いかにも元気そうだ。初対面の感想といえば「長男の生まれたときに良く似ている」だった。それには、家人も同感だったようだ。お嫁さんが、「抱っこしてみて」というのだが、猫はともかく人間の赤ちゃんは30年以上もしたことはなく、仕方も忘れている。恐る恐る腕の中に入れたが、孫を抱いているという実感は無い。
お嫁さんのご両親が見え、病室がいっぱいになったので、我々はそろそろ・・と引き上げた。

翌々日の月曜日は、息子は連休も終わり仕事なので、家人と二人で様子を見に行った。赤ちゃんは、一昨日見た顔から随分としっかりした顔になっている。母乳とともにミルクを飲ます時間になり、家人が昔取った杵柄でミルクを飲ますが、哺乳瓶に吸い付きすっかり平らげた。
手足や指の長いのと、笑窪は誰に似たんだろうが帰りの車の中の話題だった。

今週の退院時の運転手と出生届は小生の役割だ。夫婦の希望のベビーカーは、まだ使わないと分かっているが、早速注文した。

庭猫ウシコが・・

2014-04-21 (Mon) 17:47[ 編集 ]
一昨年の七月、わが家に二匹の子猫がやって来た。この二匹クーちゃん、コーちゃんは家猫だ。これより少し遅れて、小さいころから家の庭を住みかとする三毛猫のニャーが4匹の子猫を連れてきた。子供達はそのまま居ついたので、毛の柄から、ウシコ、トラ、ヒョウ、クロと名付け、避妊・去勢手術をして庭猫として面倒を見てきた。唯一のオスのウシコ(牛柄で最初はメスと思ったのでウシコと名付け)は、頭も良く早くになついて、次男が毎夜遅くに帰ってくると、足音でそれと分かり、門の所まで迎えに行くほどだった。こんなだから、家族には家猫よりも可愛がられ、一時は家の中に入れることも検討した。しかし、調べると外で暮らした猫は家の中は難しいということがわかり、庭猫のままとした。

家猫よりも可愛いウシコを撮った写真は数百枚にものぼり、写真コンテストの応募にも被写体として登場させた。次男の結婚式にも、写真で参加した程だ。

しかし、先週木曜日の夜を最後に小屋に帰らなくなった。翌日金曜日は雨だったのでどこかで雨宿りしているのだろうと高をくくっていた。土曜日も日曜日も帰らず、家人と近くを探し回った。一緒に寝ている父親のウシも心配らしく、朝から夕方まで、外でじっとして待っていた。
そのうちに、近くの大通りで猫が跳ねられたらしいとの話を聞いた。
去年の秋口にウシコの妹のトラも、そこで車にやられて逝ってしまった場所だ。
月曜の朝、市の生活環境事業所に事故の問い合わせをしたところ、事故の詳細はゴミ焼却場に聞いてくれと言う。そこに電話をすると似た猫を浮島の動物焼却場に運ぶまでの間、保管してあると言う。

覚悟は決めねばと思い、持たせるウシコの両親と兄弟の写真、袋詰めの餌を用意した。家人と焼却場の専用保冷庫に行くと、やはりウシコで、顔から少し血を流していた。声を出して泣く家人、自分も涙が止まらなかった。
女房は連れて帰りたいと言ったが、市は動物専用の場所で焼き、土に還してくれるという。亡くなった妹トラも同じ場所にいるので、弔いは市にお願いし、用意していった写真などを持たせた。
家人が、家での弔いに毛だけでも少しというので、特徴だったハート模様を少し切り持ち帰った。

家に着くと、父親のウシは今日も餌も食べずに階段のところに居た。それを見て、また涙が出た。

次男の結婚式

2014-01-19 (Sun) 14:47[ 編集 ]
曇りの予想が外れて快晴の中、次男の結婚式があった。昨年一月に長男が式を挙げ、今年は次男と続いた。入籍は昨年9月に済ませて新居を構えていて、式が後回しになった。人気の式場の予約は、土曜・日曜・祝日がなかなか取れずに、こうなったらしい。
式場は青山にあるセントグレース大聖堂。われわれ夫婦のモーニングやドレスは借りてあるので、普段着に近い格好で電車で向かい、開式の2時間前に入った。

大聖堂とあるがセントグレースは、キリスト教の宗教施設ではなく、商業的なウェディングチャペル。ヨーロッパの大聖堂のような高い尖塔のある建物、ゴシック様式の式場、移築された一世紀以上前のステンドグラスや19世紀に作られたパイプオルガンなどを売り物にしている。

親族の集合場所は聖堂と細い通りを挟んだ所だが、スタッフの数が非常に多い。痒いところに手が届くようなサービスでむず痒いくらいだ。兄姉が多いので全員が顔を合わせるのは結婚か法事かだが、昨年に続いてみんな元気な顔を見せてくれた。

着替えを済ませ、式場のある建物に移動するが、晴れている分コート無しでは寒いほどだ。
親族の受付と懇談が出来る部屋に通され、ここで休んだ後に親族紹介。長男のときに次男の婚約者(今日の新婦)の名前を間違え顰蹙をかったことから、間違わないように暗チョコの紙を片手に無事終了した。
ここから、両親は式場に先に移動し、立ち振る舞いの説明を受ける。何から何まで計算され運営されている。

式場の最前列に座らされるが、目の前五面に広がる緻密なステンドグラスには圧倒される。生のパイプオルガンと聖歌隊の合唱がチャペル全体に響き渡る。先ずは、花婿の入場。父親の前に来るので、握手かハグをとガイドされていたが、何ともこそばゆく握手で済ませた。花嫁と父親がバージンロードを歩くセレモニーで二人が揃い、式が開始された。
祈祷、誓いの言葉、ベールをはずしてのキス、指輪の交換、証書へのサイン、結婚宣言、賛美歌、神父の講話、続いた。式の最後は、両親へのお礼・・・新婦側は涙、涙、これを横目に男のこちらは「おめでとう」「幸せにね」と握手をした。
式後は、式場から出てくるカップルへのフラワーシャワー。階段に溢れそうな人の間をバラの花びらを浴びながら下りていく。改めて、祝福してくれる参加の方に感謝した。

披露宴に移って、新郎の挨拶、元気の良い友人の乾杯、両職場上司の来賓挨拶、ケーキカット、子供からの花束贈呈などと続く。お色直しの間に、二人のビデオが放映され、兄弟亡き祖父と畑で撮った写真が出ると「おじいちゃんだ」の声が聞こえた。お色直しの後は、各テーブルへ。ここで家人がサプライズで、息子が可愛がっている野良猫ウシコの写真と「おしあわせに」を大きく書いた紙を出し、皆で写真を撮ってもらった。
その後も、二人のキューピッドの友達の挨拶、次男の筋トレ仲間のムキムキ姿でのダンスなどで盛り上がった。

締めは、花嫁から母親への手紙、両家代表挨拶と続く。挨拶は昨年の経験はあるというものの、用意していた挨拶の一部を飛ばしてしまった。父親の挨拶は何処でも似たり寄ったりだが、三十数年前の自分の父親の挨拶を思い出した。
お見送りの時に、皆さんから口々に「良い式でした」の言葉を貰い、安堵するとともに感謝の気持ちでいっぱいだった。

着替えて時計を見れば5時過ぎで陽が落ちている。大きなイベントは区切りが出来て妙にほっとした気分になると同時に、疲れが出て、自宅は駅から徒歩10分弱だが、タクシーに乗った。

次男の結婚

2013-09-19 (Thu) 21:25[ 編集 ]
長男の結婚式が今年の1月、その時に次男が婚約者として親族紹介した女性と結婚した。式はその一年後の来年1月なのだが、それに先駆けて婚姻届を役所に出した。この順番は長男がそうしたので、それに倣ったのかも知れない。来年の式のことがあるので、兄弟に報告したが、孫の歳に近い歳の末の弟の末の子で一番歳の若い甥っ子がゴールインしたので、伯父伯母も喜んでくれている。父親としても、ずっと子供だと思っていた下の子が家庭を持つまでになって、嬉しさも一入だ。

その次男のお嫁さんは姉さん女房で、親戚からもお祝いの言葉に「年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ」と添えられた。年上の女性は気配りができることから重宝がられ、磨り減ることのない鉄のワラジを履いてでも探せというのが言われで、鉄が価値のある金に言い換えられた諺のようだ。心根が優しくよく気がつき諺通りの女性で、親としてもほっとしている。

次男夫婦は、男女が知り合うきっかけをつくり、縁談から結婚式、披露宴まで両家の間をとりもってまとめる役の仲人は 立てない。長男もそうだったが、近ごろの結婚には「仲人」は無縁の言葉になり、仲人がひな壇に座る結婚式は稀になったらしい。
故郷の信州の松本地方には、3・40年前の姉の結婚の頃までは、仲人の他に鉄漿親(はねおや)を立てる風習があった。鉄漿親は式や披露宴の時に新郎新婦の親代わりになる役で、結婚後は新郎新婦とは義理の親子の関係になり、後見人的な役割をするが、いかにも封建的な地方の慣わしだ。この鉄漿親も、仲人無しが大半となり、たてることも無くなったようだ。

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