日常の出来事を気楽に載せています。 木漏れ陽が当たる公園のベンチのように、のんびり・ホッと出来る場になればいいな!

03 < 2008/04 > 05
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -


スポンサーサイト

-------- (--) --:--[ 編集 ]
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

鯉のぼり

2008-04-29 (Tue) 11:32[ 編集 ]
5月の連休。今日は「昭和の日」。自分の世代には「天皇誕生日」であり、昭和天皇崩御の後は「みどりの日」。その後、祝日法改正で、昨年からは「みどりの日」を5月4日に移動し、4月29日今日を「昭和の日」とすることとなった経緯があり、二年目のこの呼び名はピンと来ない。
もうすぐ、端午の節句のこどもの日。以前はこの辺にも大きな鯉のぼりが風になびいていたものだ。家でも今は社会人となった息子たちのために、自宅にあった孟宗竹を切って竿にして、当時の上司から頂いた3mほどの鯉のぼりを飾ったものだ。近頃は少子化なのか、それともその習慣が廃れてきたのか、大きなものはあまり見なくなった。カメラ片手の散歩で5月の風景を撮ろうと思っても、1m余の小さなものが申し訳程度にベランダから出されているのを見るくらいだが、これとて『5月の連休なのだ』と目で季節を感じさせてくれる。

鯉のぼりは、いくつかの唱歌・童謡で歌われている。
『チューリップ』などで有名な近藤宮子が作詞した『こいのぼり』「♪やねよりたかいこいのぼり…」で始まる唱歌がよく歌われているが、弘田龍太郎作曲の『鯉のぼり』は、今ではあまり歌われなくなっている。
  ♪甍(いらか)の波と雲の波
   重なる波の中空(なかぞら)を
   橘(たちばな)かおる朝風に
   高く泳ぐや、鯉のぼり
5月5日がこどもの日として祝日になったのは昭和23年だそうで、昭和20年代に生まれた我々の世代は、この歌詞の一言ひと言が美しい日本語である『鯉のぼり』の方を思い出し口ずさむのではないか。

そもそも端午の節句は、江戸時代、旧暦の5月5日までの梅雨の時に、男子の出世を願って祝ったのが始まりらしい。
江戸時代であることは確かなようだが、その始まりが武家なのか町家なのか諸説あるようだが、ネットで調べると次が主な説のようだ。
端午の節句は菖蒲の節句と呼ばれるが、季節の菖蒲が武を尊ぶ「尚武」と同じ発音であることから、武家では男児の立身出世と武運長久を祈り、虫干しを兼ねて鎧や兜を奥座敷に、玄関には幟を飾った。その後、鎧兜や太刀・太鼓などを配した武者人形に変わった。
一方、裕福な町家では、「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し」と言われる様に、鯉のぼりを揚げたという。

ところで、自分が育った信州の松本の近辺には押絵雛がというものがある。もともと内裏雛は男児の誕生を祝って作られたふしがあり、実家には松本城主の持ち物だった内裏雛がある。実家でも長兄や次兄の人形が土蔵に仕舞われていて、この時期に出して飾った記憶がある。それとともに、何代か前のこの地方独特の押絵雛も仕舞われていて、何年か前に「神功皇后」のものを貰ってきて、我が家のリビングに額に入れて飾ってあるが、少しだがカルチャーの匂いをさせる飾りものとなっている。
この押絵雛は高価な雛人形・武者人形の変わりと思われ、今ではすっかり廃れてしまっていて、実家と同様に旧家の土蔵の肥やしとなっていると聞く。もとは松本の藩主戸田氏の時代に始まり、明治維新後に士族が生計を立てるために雛作りが盛んになったらしい。
ともあれ、今年のゴールデンウィークは、晴れて気持ちが良い。大きな鯉のぼりが青空に泳いでいる様が見れるといいのだが。
この暖かさで、庭の百日紅(サルスベリ)が剪定をしないうちに芽吹いてきたので、慌ててチェーンソーを使って、剪定をしてきた。

スポンサーサイト

オールドノリタケ

2008-04-28 (Mon) 18:22[ 編集 ]
JR目黒駅から歩いて10分弱、東京都庭園美術館で開催されている『オールドノリタケと懐かしの洋食器展』を見に行ってきた。
「オールドノリタケ」とは、1800年代末から第二次世界え大戦の終わりにかけて、現ノリタケカンパニーの前身「森村組」と「日本陶器」が製造し、主にアメリカに輸出された陶磁器の総称。日本の職人が繊細なデザインと華麗な彩色を極めた陶磁器は芸術性が高く、その上ヨーロッパの当時の日本の工賃が安価であったことから西欧のセーブルやマイセンなどの有名陶磁器と比べて安価で、アメリカの中産階級で人気を博したらしい。
展示されているのは、守屋知子コレクションを主とした200点余りで、そのほとんどがHandmadeで、「良くもまぁこのような細かい作業を」と日本の職人の技に感心するものばかり。デザインは西欧などからのものが多く、どちらかといえば欧米人好みのものが多かった。

会場の庭園美術館は昭和8年に建てられた旧朝香宮邸。その建物自体アールデコ様式の瀟酒な建物で、東京都の有形文化財に指定されている。朝香宮(朝香宮殿下は久邇宮家の第8王子で、妃殿下は明治天皇第8皇女)が戦後すぐに皇籍を離れてからは、外務大臣・首相臨時公邸、国の迎賓館などとして使われ、昭和58年に今の美術館になったとのこと。
そのアール・デコ様式の装飾の数々・・・天井が高く重厚な数々の部屋、円形に張り出された造りの大食堂、エッチング・ガラスの引き戸、角ばってシンプルなデザインの階段、洒落たデザインのラジエーターカバー、各室全く違う天井からさがったシャンデリアや照明器具、どっしりとした暖炉・・・などなど、どれもが昭和初期の贅を尽くした素晴らしいもの。今日は以前に行った時には見られなかった三階に作られた市松模様床のWinter-roomにも入ることか出来た。
庭園美術館と言うだけあって、国立自然教育園に隣接した広い敷地は耳目に覆われた中に、彫刻が置かれた芝生広場や、茶室がありモミジなどの樹木と池・橋が美しい和風庭園、桜の木に囲まれた西洋庭園がある。静けさを求めたいところだが、高速道路が近くを通っていてその音が耳障りなのは残念。
10時の開館と同時に入って、出てきたのが12時。お腹も空いたので目黒駅傍の干物の美味しい店で昼食を採った。


ニコライ堂

2008-04-23 (Wed) 22:39[ 編集 ]
隔月の内科診療のため、地下鉄千代田線で御茶の水に行った。予約時刻までに少し時間があるので、病院方向とは違う地上出口を上り、ニコライ堂を見に行った。今日は快晴、改修後の真っ白な漆喰壁が青空によく映えて、そのコントラストが美しい。

御茶ノ水は、戦火にも焼かれること無く残った古い建物が多いところで、二十数年勤めた会社があったこともあり、この下町らしく風情ある街が好きだ。
ニコライ堂、正式には日本ハリストス正教会東京復活大聖堂と少々長い名だが、日本に東方正教会の教えを布教したロシア人の修道司祭「聖ニコライ」の依頼により明治24年に建てられたというから一世紀以上前のもので、ここも大空襲にもめげず残った建物だ。高さが35メートルもある丸いドーム型の聖堂が特徴の、ビザンチン様式の堅牢で荘厳な建物は、国の重要文化財で、東京の名所の一つでもある。

ニコライ堂から本郷通りを少し登り、御茶ノ水駅を通り過ぎたところにある神田川を渡るアーチ橋を「聖橋」という。この橋は昭和2年に関東大震災後の帝都復興事業の一環として架けられたもの。「聖橋」の名の由来は、「ニコライ堂」と渡り切った湯島側の右手にある孔子廟「湯島聖堂」とを結ぶところかららしい。

ニコライ堂の前を通り、明治大学の高層ビルを眺めながら、病院に向かい。久しぶりの御茶ノ水を楽しんだ。残念だったのは、良く行ったコーヒーショップが閉店していたこと。学生街のお茶の水は、お店の入れ替わりも激しい。


ハナミズキが綺麗

2008-04-19 (Sat) 09:32[ 編集 ]
桜も八重桜が満開となり、同時にハナミズキの季節になった。二十代に住んでいたアパートの庭に白い花をつける木が植えられていて、そのころは未だ珍しく、庭の花木と暖かい日差しが春であった。近頃は街路樹としてそして庭木として、方々で見ることが出来る。あの頃は白だけだったが、今ではピンクや朱色をしたものも一般的になって、色のあるものは、この季節に明るさを一層添える。
昨日までの春の嵐があがったので散歩に出て、公園や近所のお宅の庭に開くハナミズキを見上げ、写真に撮ってきた。花は背より高いところにあることが多く、早朝で光度も足りず逆光になることが多い。その上、風が強く花びらがなびいて撮りにくい。数撃てばと数十枚を撮ったが、家に帰って確認すると、使えるのは5・6枚だった。

ハナミズキ、元は北アメリカ東部の代表的な木で、バージニア州の州花でもある。1900年ころに東京市長の尾崎行雄が、今は桜の名所となっているワシントンに桜の苗木を贈り、その返礼として合衆国からハナミズキが東京市に贈られたのが日本到来の始まりらしい。これが1915年というから、一世紀足らずですっかり日本の春の花木になったということか。

別名のアメリカヤマボウシは同じミズキ科のヤマボウシに似ていることか来ているが、アメリカヤマボウシとハナミズキを合わせたアメリカハナミズキという呼び方は正式ではないとのことだ。米語ではドッグウッド=dogwoodだが、これは皮の煮汁が犬のノミ退治に効いたことからというのも面白い。これだけではなく、樹皮や根皮には、整腸や強壮に効果があるという。

モディリアーニ展

2008-04-13 (Sun) 15:51[ 編集 ]
4月も中旬で、ポカポカ陽気が続くと思いきや、朝からの小雨で薄ら寒く、毛糸のベストを着て、乃木坂・六本木にある新美術館に出かけた。お目当ては「モディリアーニ展」でチケットは新聞販売店のプレゼントで当てたものだ。

モディリアーニは100年位前にパリを中心に活躍し、35歳という若さで逝った画家で、アフリカや東南アジアの絵画や彫物にも通ずる、首が強調され、頭を傾け、瞳のない独特の女性像の作品が有名だ。小・中学生ころの美術の教科書に載っていることから、日本人が特に好きな画家の一人ではないかと思う。

この画家の油彩60点とデッサン90点の150点もが世界中から集められた展覧会となれば、見逃す手はない。朝10時の開館の前に行ったためか混雑はなく、ゆっくりと鑑賞できる。原点ともいえる初期の「カリアティッド」はアフリカの美術や土産物でも見ているかのような、単純な線で描かれた下絵の女性の素描がずらりと並ぶ。プリミティヴ美術というらしいが・・これを原点に彫刻、そしてその後に良く知られる長い首、なで肩、アーモンド型の瞳のない目の油絵となるのだが、展示された絵その殆どがモディリアーニと判る。しかし、この似たような肖像画は、足を止めてじっくりとみると、それぞれのモデルの特徴が良く捉えられていて、まるで内面まで表しているかのようにも見える。

後にモディリアーニを追って自殺をしてしまう妻のジャンヌ・エビュテルヌをモデルとしたものは7点も展示され、特に「大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュテルヌ」や横を向いた青い目の「ジャンヌ・エビュテルヌ」が印象深かかった。また、スポンサーの画商や友人を描いた男性の肖像画があるのには、これまで女性像ばかりと思い込んでいた自分には意外で、「髭のないズボロフスキの肖像」や「シャイム・スーティン」は特に新鮮に写った。

モディリアーニを十分に堪能した2時間だったが、ギックリ腰直後の腰痛もあり、地下のカフェテリア・カレでオニギリと豚汁、カフェラテでゆっくりと休んでから乃木坂駅に向かった。

追記
モディリアーニの殆どの肖像画には何故瞳がないか・・それは、彼が彫刻をやっていたことからきているというのが、会場の解説。
インターネットで検索すると別の説が・・女性モデルが何故かと彼に聞いたところ『そんな遠くではわからない。その人のことを本当に理解できたら瞳を描く』と答えたとか。現に妻の画には瞳がある。


 | HOME | 



-天気予報コム- -FC2

お~さま

お~さま

出身:長野県安曇野市
現在:神奈川県
歳 :かなり
趣味:写真、映画、ホムペ・・
 

RSS 1.0

HTML 4.01

RSS FEED

template by mayu*

FC2Ad

(C) お~さま All Rights Reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。