日常の出来事を気楽に載せています。 木漏れ陽が当たる公園のベンチのように、のんびり・ホッと出来る場になればいいな!

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夏の風物詩還燈会

2012-08-26 (Sun) 14:08[ 編集 ]
自宅と谷間を挟んだ向こう側に公園墓地「春秋苑」があり、丘陵全て墓地となっている。宗教・宗派問わずという墓地だが、運営母体は浄土真宗の名刹信行寺だ。
この寺の夏の行事として、生田の送り火「還燈会」があり、数千の灯明が飾られ、大法要が行われる。第24回とポスターにあり、今ではこの近辺の夏の風物詩となっている。今年はイベントとして、ロック歌手宇崎竜童のライブ、被災地気仙沼の子供達による「美和太鼓」の演奏、花火の打ち上げがその内容だ
昨年は、夏川りみのライブだったが、今年もライブをと6時半に間に合うように家をでた。

本堂前の駐車場が宇崎竜童ライブの会場だが、既にびっしりの人で、舞台は人の頭の間に見える程度。昼間の猛暑の影響と人いきれで汗が垂れるほど暑い中、予定時刻ぴったりにロックライブが始まった。
「サクセス」「ロックンロール・ウィドウ」などヒット曲が続き、観客も一緒になって歌うなど盛り上げも上手く、あっという間に予定の1時間が過ぎた。曲は、山口百恵のものが多いが、それもその筈で百恵ちゃんが17歳から21歳の引退までの間に、彼が68曲を提供したという。そしてライブの最後も、百恵ちゃんが日本武道館でのファイナルコンサートの締括りに歌った「さよならの向う側」だった。
宇崎竜童は1946年生まれというから、今年66歳の筈。熱唱やアクションはその年をまったく感じさせないもので、自分がその年になった時どうだろうと考えさせられた。

家に帰ってから暫くすると、10分ほどと短いものの墓地の夜空に大輪の花火がお腹に響く音とともに上がった。
毎年、これが過ぎると秋が近づく。
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仔猫がやってきた

2012-08-14 (Tue) 22:06[ 編集 ]
子供たちが大きくなって、可愛がる対象が無くなったためか、家人は野良猫に餌を上げて面倒見をするようになり、今では、ニャー、ウシ、ニャンコの3匹となった。小さい頃、後足を骨折、尻尾チギレの怪我をしていた三毛猫のニャーは特に可愛いようで、毎朝4時半には餌をやっている。このニャーを飼い猫にと検討したことはあったが、警戒心が強く、玄関まで入るものの、それ以上はなつこうとはしない。

そんなわが家に飼い猫として仔猫二匹がやってきた。息子のお嫁さんの実家で4月末に生まれた4匹のうち2匹を貰い、息子たちが山梨まで連れに行ってくれた。2匹ともメスで、黒色と白色が一匹づつだ。

初めて乗る車、しかも2時間もの長旅、その上知らない家の部屋に入れられ、着いてすぐは大人しくしていた。しかし、3日前から実家にいた息子のお嫁さんか相手をすると、ジャレ付きはじめ、2時間も経つと2匹で走り廻っていた。

肝心の名前だが、家人が黒色のが黒からクーちゃん、白色のがコアラのようだからコーちゃんと名付けた。あまりに安直だがKuuにKoo、ゴロも良いからまぁいいかと同意した。
山梨の家でトイレのしつけや離乳もしっかりやってくれていて、きちんとトイレで用を足し、貰って来た固形の餌もコリコリと食べた。

息子たちが帰ってしまうと途端に静かになり、用意した小屋にはいらず、家具の狭いスペースに入ってしまった。今夜から家族の一員として、自分が同じ部屋に寝ることにしているが、仔猫たちに家族が分かるにはしばらく時間が掛かりそうだ。

蝉の抜け殻

2012-08-12 (Sun) 19:37[ 編集 ]
立秋を過ぎても暑い日が続き、毎朝早くからベランダ脇の夏蜜柑の木で煩いくらいに鳴き出す。
週末早朝の散歩で桜並木を歩くと、幹の周りの地面には蝉穴が沢山空き、方々の葉の裏にかたまって抜け殻が付いている。頭上の「ジリジリジリ」の鳴き方や抜け殻が固まっているところから、殻はアブラ蝉のものだ。

日本に生息する蝉は35種類位らしいが、鳴く時間帯は種類によって異なっているようだ。知られているのは、午前中はクマ蝉、午後はアブラ蝉やツクツク法師、朝や夕方のはヒグラシ、朝から夕暮れまで鳴くのはニイニイ蝉だ。

夏の晴れた日の夕方、成虫になる直前の幼虫は羽化をするため、地上に出てきて周りの木に登る。そして、日が暮れた後に木の幹や葉の上に爪を立てて羽化を始める。成虫は時間をかけて殻から出て足を抜き出す。この作業は朝までに完了して、宿敵が現れる頃には飛び立ち、鳴き出す。そして、葉の裏や幹には抜け殻が残る。

抜け殻といえば、中川翔子(しょこたん)が、毎年セミの抜け殻ヘアーをブログにアップし話題になる。これは下手物でとても頂けないが、街路樹の抜け殻は、暑い夏が過ぎてもその名残として残り、風情もある。

近藤愛選手、残念

2012-08-09 (Thu) 21:20[ 編集 ]
ロンドンオリンピック、セーリング女子470級で近藤愛・田畑和歌子組がメダル獲得を逸した。直前の世界ランキングが1位だっただけに、第10レースまで終えて14位にとどまり、上位10艇による最終レースに進出できなかったのは何とも残念だ。

2008年北京オリンピックでも、近藤・鎌田組は世界ランキング1位で臨んだが、全19チーム中14位の成績だった。
鎌田の引退後、近藤は田畑という世界トップレベルの選手と組み、「ドリームチーム」としてメダル確実と言われロンドンに入った。ロンドンはそれまでと違い、何名かのサポートスタッフとともに現地で準備を整えていて、周囲は大きな期待をしていた。
この結果に、一番残念・無念に思っているのは選手であり、サポートスタッフであり、家族であるのだが、自分も秘かに応援していたので、少し気落ちをした。

スキッパー(艇長)の近藤愛選手は31歳になるが、彼女が高校生のころに会っている。それは彼女の父親の葬儀の時で、自分は参列者の一人、勿論彼女の記憶に残っている筈もない。
15・6年前にもなるだろうか、前職で販売推進部を担当していた時のメンバーに、いつも笑顔を絶やさない「近ちゃん」が居た。担当して半年ほどたった時に彼が突然入院をした。八王子の病院に数度見舞いに行ったが、大病を患いながらも笑顔で迎えてくれたのが忘れられない。彼は/不治の病を克服できず、仕事に復帰することなく40代で逝ってしまった。そして、通夜・葬儀の親族席にお母さんと妹さんとともに、高校生の愛さんが居た。

愛さんは、父親の他界後も小学生から入っていた横浜のクラブで練習を積んでいたようで、アジア大会への出場が決まった折には、お母さんから喜びのメールを頂いた。

そんな縁から応援をしているのだが、セーリングのテレビ中継はなく、インターネットでレース結果の確認をする日々だった。
ネット情報によると、メインセールのロープが突然解けてしまいセールが落下するというトラブルや、ブラジル艇の進路を妨害したと認定されての失格などで、実力が発揮できないまま競技終了を迎えてしまったようだ。

オリンピックに2度も出場。いずれもメダルへの期待は裏切ってしまったが、二十数年間の努力に、惜しみない拍手を送りたい。
オリンピック前の紹介映像にあった愛さんの笑顔が、驚くほど近ちゃんのそれに似ていた。天国の近ちゃんもあの笑顔で拍手をしているに違いない。

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