日常の出来事を気楽に載せています。 木漏れ陽が当たる公園のベンチのように、のんびり・ホッと出来る場になればいいな!

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渋谷に出掛ける

2015-10-29 (Thu) 14:30[ 編集 ]
海外在住の友人が半年ぶりに一時帰国し、もう一人の友人と三人で、渋谷でランチをと出掛けた。渋谷に出るのは一年ぶりだろうか。

40数年前に、この街の大学に通った頃とは随分と様変わりした。学生時代、たまり場としていた高速道路脇の喫茶店は当然のように姿はなく、コンビニになっている。プラネタリウムの東急文化会館はヒカリエになり、壁が独特の曲線模様の東横線ホームは無くなって、地下に潜った。。ハチ公広場が面する交差点は林立するビルに囲まれ、大勢の歩行者横断は世界の珍百景になった。線路を挟んで反対側ののんべい横丁は昭和の匂いそのままに頑張っているが、元祖くじら屋近くにあった恋文横丁は無くなり「此処にありき」の碑が寂しく立っている。
そしてこの街を訪れる人も変わり、その頃は大人の街だったが、今は若者の街に様変わりした。

話を戻して・・・ランチのメンバー三人は、前々職で一緒に仕事をした仲間だ。
舌を噛みそうな名のレストランのフランス料理のコースの予約をしたのは小生で、場所も大体分かっていた。その筈であったが、現地に行ってみると迷った。この辺りの筈と人ごみを掻き分け、ビル名や店名表示を探して行ったり来たり。日陰に入りスマートフォンで地図を探り、店は明治通りを渡った所のビルと分かった。こんな日に限って夏日で、ウロウロにその暑さも手伝って店に入るまでにひと汗搔いた。
40年前もごちゃごちゃした場所ではあったが、ビルがこんなに鮨詰めではなく、せわしい混雑もなかったので、場所は容易に分かっただろうに。もっとも、その頃は、ビルの地下に、フランス料理店などは無かったが。

友人二人よりも先に店に入り、コップの水を一気に飲み干すと同時に友人達が一緒に入ってきた。一人は渋谷の大学卒だった筈なのだが、「店が分からなくて・・」が第一声だった。

フランス料理コースと言っても、ランチのコースなので大したことは無い。前菜5種の盛り合わせにメインは鮮魚のグリエ、デザートのケーキとアイス、コーヒー。こじゃれた盛り付けをされた料理の味は、まあまあで「こんなもんだろう」レベル。パンはお代わり自由のそば粉のカンパーニュ。外はカリカリ、中はもっちりを千切り溶かしバターをつけて口に入れる、これは美味い。料理を口に入れながら、お互いの近況、知己の絵本作家の美術館、はたまた携帯電話やSNS、そして60過ぎれば健康、と話題はあれやこれやで話は尽きない。話の合間には、ウェトレスに頼んでスマホで記念の写真を撮った。こんなことで、店から言われている2時間はすぐに過ぎた。
次に会うのは、半年先か一年先か分からないが、健康維持を約して握手で分かれた。

帰りの明治通りから駅方向を見上げると、ホームを東へ130m移設するという銀座線渋谷駅の改良工事の様子が少し見えた。ここも7年後には、狭いホームや階段の多い駅が懐かしく思える日が来る。
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残りのスダチ

2015-10-23 (Fri) 16:27[ 編集 ]
9月7日のブログ「今年のスダチは不作」で親戚や知人に少し配り、自宅用に未だ小さい40個ほどを残したと書いた。

不作のスダチを大方採ってから1ヶ月半の間木に残った実を大きいものから都度採って自宅で使っていた。昨日残った実を数えると40としたものが未だその倍はあることが分かった。実の大きさもゴルフボール位から二周りほどに大きくなり、色も濃い緑色から黄緑色なったことから、青い葉が茂っていても目立って見落としのものが見えるようになったからだ。

家人は、今の時期のものの方が9月頃の若いものよりも、酸っぱさが円やかで、硬くないから絞り易いし、汁の量も多いと言う。残り物に福だが、熟れれば酸っぱさが少なくなるので、黄色苦なる前の今に採ることにした。

高いところや葉が低く生い茂ってところに多く残されているので、高枝鋏と鎌を出してトゲに引っ掛けながら採った。今回も少しだけ家用にと見易いところの実を残し、粗方採りつくした。
採った実はバケツにいっぱいとなったが、直ぐ家で使うにしても10個程度。後の80個も行く先は決まっていない。

今日はジムに行く日なので、フロントの女性に20個を持っていくことにし、残りはバケツに入れたまま門のところに「ご自由に」の貼り紙を付けて置いた。
ジムから戻ると1/3程無くなっていたが、朝採りなので明日の朝までそのままにしておくことにした。

追記
翌朝、バケツの中に残っていたのは紛れ込んだ葉っぱだけで、スダチは綺麗に無くなっていた。夕べはどこかの家でサンマか鍋の夕餉に添えられたのかも知れない。

蜘蛛の話

2015-10-20 (Tue) 14:46[ 編集 ]
今年はクモが多い。と言っても青空に浮かぶあの雲ではなく、肉食性陸上節足動物で8本足の蜘蛛のことだ。
今も、家の周りの庇、壁、雨樋、塀、門扉、植木など至るところに糸が張られ巣を作っている。気になり出したのは夏の初期からで、秋を迎えた今でもその数は減っていない。

家が蜘蛛の巣だらけでは、手入れが行き届いていないとみられるので外観上まずい。何より庭をちょっと歩いても頭や顔に巣が引っかかる。これと言った害はないのだが、頭に掛かろうものなら、毛髪に蜘蛛糸が絡んでなかなか取れずに気持ちも悪い。

今朝も、女郎蜘蛛が花を付けた山茶花の木にいくつものの巣が作ってあった。
そして庇・壁・雨樋と外壁にまで複雑に張り廻らしている大きなのも見つけた。道路側から見える場所の巣は、見つける度に長い柄の箒で絡め取っているのだが、今朝の庇からの巣は、箒の先に絡まった粘る糸が特にしつこくて、指で少しづつ取る羽目になった。

それにしても、庇から外壁まで1m以上も離れていて、しかも高所だというのによく張ったものだ。
調べると、次のように糸を張るのだそうだ。(Yahoo知恵袋)
1.まず糸を風に泳がせ、どこかに引っかかるのを待つ。
2.引っかかったら、そこから基礎となる枠糸(ワク糸)と縦糸を張る。
3.基礎ができたら放射状に縦糸を増やす。
4.中心から螺旋状に大まかな間隔で足場糸を張っていく。
5.それを足場に粘着性のある横糸を細かく、ぐるぐると張っていくと完成
そう言えば、これは小学校の理科で聞いたような気がする。

蜘蛛は、映画にも小説にも登場するが、好い/悪いが極端に描かれているようだ。
例えば、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』では、蜘蛛は釈迦の下僕として天上と地獄を繋ぐ糸を引く。ハリウッド映画の『スパイダーマン』に至ってはヒーローだ。
それとは違い『タランチュラの襲撃』は題名通りの悪。時代劇に登場の蜘蛛の刺青となれば、ヤクザ者と知れている。
谷崎潤一郎の処女作『刺青』では、刺青の彫り師が薬で気を失った娘に刺青を施し、娘が瞳を妖艶に輝かせる魔性の女に生まれ変わるという物語と記憶しているが、この刺青が女郎蜘蛛だったと思う。

外国ではどうか知らないが、日本においては「悪」が多く、姿・形から来る不吉なイメージなどから嫌う人が多い。
しかし、セアカゴケグモなど一部の毒グモを除くと、殆どの種類の蜘蛛は無害の上に、害虫を捕食してくれる益虫とされている。

田舎育ちの小生とて、ぎゃあぎゃあ騒ぐ方ではないが、好きではなく、時には駆除スプレーを使おうかとも思う。
蜘蛛は益虫だし、朝の蜘蛛は福を持って来るので縁起が良いとも言う。逆に、夜の蜘蛛は縁起が悪いので殺せとの伝えもある。一体どちらが・・。
どっち着かずのわが家では「午後に箒で退治」で我慢するか。

今年もコスモスを撮りに行く

2015-10-17 (Sat) 19:07[ 編集 ]
10月15日、コスモスを撮りに昭和記念公園に行ってきた。既に終盤だった去年よりも一日早いだけで、撮影に耐えるかどうか心配だ。
今年も小田急線、南武線、青梅線の計23kmを乗り継ぎ、一時間弱、512円で西立川駅に着いた。三連休後の平日とあって、いつもは入口に並ぶのだか、今回は10人もいず、9時半の開門に一番で入った。
最初の目的地コスモスの丘は、西立ち川口からは一番奥の砂川口近くにある。レンタサイクルを借りて一年ぶりに自転車に乗って専用道を走る。青く高い空のもと、未だ効用していないプラタナスや銀杏などの街路樹、脇の赤実をつけた木々、その間を風を切って走るのは何とも気持ちがいい。坂道に差し掛かるとギアを替えても足が重くなり、歳を感じざるを得ない。

コスモスの丘は、去年とは違って小高い丘いっぱいに今が盛りと咲いていて、圧巻のスケールだ。ドワーフセンセーションという種類が400万本も植わっているそうで、ピンク、赤、白の花は、空の青色の下一面に花柄の布を敷いたようだ。
先着は10人も居ず、畑全体を写すにも人影が入らないのでストレスは少ない。安心して、花を近距離で撮っているうちに、みるみる人が多くなってきた。急いで花の丘を撮ろうとした時には、畑の真ん中に通る道の方々でカメラを構える人がいる。仕方なく出来るだけ入らないように角度を調整したり、通り過ぎるのを待ったりして写した。

公園のコスモス畑は、この丘のほかに原っぱの西と原っぱの東にある。去年までは、西の畑では比較的遅くに咲く白や淡い黄色を、東では9月中頃から10月初めに咲くピンクのリング模様が入るハッピーリング種を中心としていた。何故か、今年はそれを逆にしたようで、現在=10月中旬の東畑は既にハッピーリングの姿はなく、土の畑に戻されていた。アンハッピーな気分で西畑に廻ると、イエロー系のコスモスで埋め尽くされている。リーフレットを見ると80万本あり、気温が低くなるにつれて白から黄色に変化するのだそうだ。この畑、被写体としては引いてもアップでも単調で、一眼レフを構える人は少なく、自分もその仲間だった。

午後に修理から戻るパソコンを取りにいくことになっているので、正午前だが引き上げることにした。
近くの売店にこれだけは欠かせない「コスモスソフトクリーム」を買いに寄り、自転車を返す西立川口に向かった。

パソコンの入院

2015-10-15 (Thu) 20:32[ 編集 ]
9月の半ば過ぎから、一体型パソコン = 富士通ESPRIMOの調子が悪くなった。使用中に突然画面が消え、Sleep状態になる。電源ボタンを長く押しても電源オフにならず固まってしまう。電源を抜いて差し込む動作を何度かやるうちにWindowsが立ち上がるという現象だ。月末には、このフリーズが頻繁に起こるようになり、お手上げとなった。仕方なく、修理もするというパソコン専門量販店に持ち込んだのは月初のことだ。

そこで診て貰うと、現象は出て確認はできるが、メーカーに送って原因を特定し修理するより手はないということだった。仕方なくそれで依頼をすると、担当者はいくら掛かるか分からないし、4年使用したのだから買い替えては?という。このパソコンのメインの使い方として、テレビ観賞と番組録画があり、同様の機種は殆どないし。中古品で体の良いものは4・5年前の機種で、価格は10万円を超えてしまう。超えるなら修理した方が得と考えて、そう伝えた。最後に『買った時に長期保証は付けてありませんか?、あるとこの程度の修理費は全額カバー出来ると思います』と言う。家電量販店で購入した時に付けたような気はするが、リフォームでその保証書が見つかるかどうか・・。一晩メーカー送りを待ってもらい、家で探すことに。
そうすると、このパソコンの関係書類を入れたクリアファイルに仕舞ってあり、2011年6月の購入時から5年保証を付けてあるのが確認できた。99,800円を上限に付保してあり、期限内で有効だ。早速、パソコン専門店には断りを入れて、家電量販店に持ち込んだ。そこでは、メーカーか提携専門業種に修理を依頼し、期間は2週間程とのだった。

パソコンは、メールのやり取りやFacebookなどのSNS、ニュースを見たり、それにホームページの更新などで利用する。その他にテレビを見たり録画をしたりする。寝室のテレビは1番組しか録画できないが、パソコンは3チューナーだ。
これらが出来ないのだから、2週間は長い。代わりにiPad miniやiPhone、携帯などを使うことになるが、おのずと限界がある。

そして、ほぼ2週間後の昨日、修理完了の連絡があった。今日、家電量販店に引き取りに行くと、マザーボードの取り替えを行ったとのことだった。当然保証金額内で、また故障しても期限までは何回でも修理依頼が出来ると言って長期保証書を返してくれた。

プチプチでぐるぐる巻きにされた10kg程もあろうかというパソを車に積み運び、ヒーヒー言いながら2階の書斎に置いた。
電源を入れ、以前の症状を確認をするが全く出ず、マザーボード交換で治ったようだ。

早速今週のテレビ番組予約をし、このブログも書いている。
二週間、日の消えたようだった書斎にも、ようやく主役が退院して活気付いたようだ。
バソコンの長期保証は、夕食時の話題の一つだった。

28年ぶりの墓参

2015-10-11 (Sun) 15:42[ 編集 ]
10月9日金曜日、秋空のもと長野県上田市隣接の坂城町に、義父の墓参りに家人と長男の3人で行って来た。何しろ長男が小学1年生の時以来だから28年ぶりのことだ。義父は、家人が3歳の時に他界しているので、小生や長男は全く知らないとはいえ、随分の無沙汰をしたものだ。

久しぶりの墓参ということで、予め義父の実家に頼んで菩提寺には読経をお願いした。また、生花やお供えの菓子や酒も用意し、花は萎れないように水を張ったバケツに入れ車に積んだ。

お寺にお願いした時刻は午前10時、距離で200km程。渋滞や休憩、お墓での準備を考えるとゆっくりもしていられない。夜が明けたばかりの6時に家を出て、世田谷の長男を拾って、関越道へと急いだ。ウイークデーの環状8号は渋滞というほどではなく、谷原を左折して高速に乗った。サービスエリアで朝食後、関越から上信越へと高速道路を走る。方々で工事のための車線規制があり、計算より少し遅れ10時20分前に現地に到着した。

お寺は、平安時代創建の浄土宗の古刹で、大きな本堂と鐘楼がどんと構えていて、境内に墓地がある。
代々が眠る墓は、実家が掃除をしてくれてあり、香、華、飲食の供物=線香、生花、酒・菓子を供えて準備は完了。間も無く住職が若い女性のお坊さんを従えて本堂の鐘楼の間からみえた。

一通りの挨拶を済ますと、住職が若いお坊さんを娘さんで副住職と紹介してくれた。やがて、副住職の透き通るような声で読経が始まり、直ぐに住職の太い声がそれに乗って合唱のように墓地全体に響いた。
何巻ものお経を上げて供養が終わった。住職の話では、施設にいる義母をよく知っていて、無沙汰よりも今日のお参りを誉めてくれた。お布施を渡し、墓参は無事終えた。

義父の実家は、寺の傍の塀に囲まれ、松などの庭木が見えるた大きな家。義祖父の時代から敷地内に病棟もある医者で、今ではそこを継いだ伯父も他界している。代々医者が多い家系で、家を継ぐ筈の家人の従兄弟は、ここではなく近くの街で整形外科を開業している。28年前にはあった病棟は流石に撤去され、今は家人の従姉妹がひとりで広い住居や庭を守っていた。

時刻と正午近くなったことから、早々に辞去して買い物をすることにし、隣接の上田市のJAが経営する大きな特売所にナビの誘導で向かった。
事前にネットの友人からの情報通り、新鮮な農産物が並んでいる。ここは長野でも北の北信で、松本近辺の中信で育った自分には、珍しい野菜や食べ物も多く並んでいる。
野菜、キノコ、リンゴやお焼きなどを長男の分もカートに積みレジに回ったが、予想よりも随分安くあがった。
この辺りには食事所はイタリアンしかないと聞き、食事は名物とはいかず、またしてもサービスエリアに入った。

帰りの高速道路の運転は長男に任せ、多少の渋滞はあったものの4時には450kmの全行程を終えた。

久しぶりの長距離運転を伴う強行軍には、ほとほと疲れ、その夜は8時間睡眠、翌日は2時間の昼寝をした。

この日帰り行で分かったことが二つある。
一つは、浄土真宗とうろ覚えていた宗派が浄土宗であったこと。
もう一つは、普段の街中走りでは1リットル当り8〜9km表示の燃費メーターが19kmになっていて、カタログの燃費24kmもあながち誇大とは言えないことだ。

今どきの耳鼻科

2015-10-01 (Thu) 20:04[ 編集 ]
今年の春先から匂いがよく分からない状態が続き、その上プールから出た時のように耳がボワボワして聞こえ難くなり、駅前の耳鼻咽喉科に通っている。
そこには十数年ぶりになるが、その間に代替わりしてご子息が院長になり、建物もビルに変わっている。

受付して目に付くのは、待合室に大きな液晶ディスプレイに医療情報とともに診察待ちの人数とその時間が刻々と表示されていくことだ。
また、携帯電話の三大キャリアーだと、スマホで診療予約が出来るとの案内もあり、このシステムと掲示とは連動しているようだ。予約しなくても、そのサイトをみれば、現在の待ち人数・時間が分かる。便利になったものだと思う。

表示された情報からだが、一人当たりの診察時間は4分と分かる。耳鼻咽喉科だから、診察後に鼻や咽喉からの薬の吸入があるので、患者毎の診療時間はそれより長くなるが、待ち時間が短いのは助かる。

診察に使う器具も新しく、耳の聞こえの検査は、手にスイッチを持っての「聞こえるor聞こえない」の検査ではなく、耳にチューブ状のものを当てて、30秒ほどで終わった。X線撮影にしても小型の機械で、うつ伏せた顔を上から鼻の部分を撮影し、直ぐに画像を見ての診察と説明がされた。
症状の説明も、医師がレーザーポインターで掲げてある図を指して行い、何から何まで前院長の時とは様変わりだった。

肝心の嗅覚と聴覚の異常は、アレルギー性鼻炎と副鼻こう炎、アレルギー性鼻炎が関連した中耳炎に外耳炎との診断だった。特にアレルギーからの症状は、このところの台風や低気圧など気圧や気温変化の影響が大きいとのことだ。嗅覚の方は、4ケ月ほどの抗菌薬と薬吸入の治療が必要で、毎週通院になりそうだ。

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