日常の出来事を気楽に載せています。 木漏れ陽が当たる公園のベンチのように、のんびり・ホッと出来る場になればいいな!

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2度目の積雪

2018-02-02 (Fri) 12:59[ 編集 ]
今年2度目の積雪だ。ブランド越しに外を覗くと、里山は10日前ほどではないが雪で厚化粧している。ニュースでは、都心が1cmと言っていたが、自宅は3・4cm積もっている。気温がそれほど下がらなくてベタ雪となったこともあって、前の市道は融けて地面が見えているところが多い。しかし、急坂では上る何台かの車はスリップして、タイヤが悲鳴をあげている。

二回目の雪は、先週から予報され、テレビでも毎日取り上げられていた。そこで、Facebookで知った靴底用スパイクを注文し、車もスタッドレスタイヤに替えて準備した。

朝食を済ませ、昨夜届いたゴムバンドと金属ピンで出来たスパイクを長靴に取り付け、スコップを持って雪掻きを始めた。
水分が多くて重いものの積もった量が少ないので難なくすくえ、ひと搔きするとコンクリート面に届く。このため、スパイクは靴底のピンがガシャガシャして、かえって邪魔で直ぐに外した。
少ないといっても車の屋根に乗った雪は何故か多く、明日以降に車を使うので、車と駐車場の雪を片付けた。終わる頃には雪は止んだが、雪対策をしていない軽自動車が坂を登りきれずにバックで下りて行き、人も恐る恐る歩を進めている。これを見て、坂道も雪掻きをすることにした。
新雪は手間なく横に避けたが、轍で踏まれたところはスコップの先端の金属を使ってガリガリと搔き取るほかは無い。作業をしている最中にも一台の軽自動車が未だ作業をしていない箇所で登りきれずに、諦めてバックで戻った。

この坂道は電動自転車でようやく登れるほど急で、急勾配として知られる国道1号箱根峠の坂道が最大で14%(100m進むと14m上がる)と言うから、この位はあるかも知れない。
正午には小雨に変わり、坂道は端に雪が残るだけとなり、車や人は普段通りに上り下りしている。

四年ぶりの大雪に汗を流す

2018-01-23 (Tue) 23:00[ 編集 ]
東京都心で23cm、四年ぶりの大雪だそうだ。ニュースでは交通機関に影響が出て、利用客に大分混乱が出たようが、大雪は家中心の生活者にとっても厄介者だ。
スーパーでの週一の買い物を天気予報を聞いて一日早め、しかも本降りの前にと午前中で済ました。パラパラ雪が正午前には雪が激しい降りになった。午後から降り始める予報を信じずにラッキーだった。
前日までの予報の積雪5~6cmは外れ、その強い降りは夜まで続いて夕方には一面を銀世界にした。
家の前の急坂で通行人が転倒してはと、暗くなる前に新しい雪かき専用スコップを持ち出した。既に10cmを超えて積もっているが、幸い新雪でスコップは入り易い。道路の右端から1m程のところに60cm程の幅で雪をすくい、道路の端に放る。30分で30mを搔き終えた。

朝起きてみると、屋根のあるベランダにも吹き込んだ雪が10cmほど積もっている。その向こうのには音の無い世界に雪国のような景色があった。一階に下りてみるとニュースの20cmはゆうに超え、塀の雪を手で測ると25cmは積もっている。車の屋根にも同じように積もっている。ふらついている庭猫を昨夜ダンボールの小屋に入れてあげたが、小屋の中で丸まっていた。
わが家は4mほどの市道に沿っているが、急坂の市道には昨日の雪掻きの跡は既になく、二輪車らしき轍跡が着いていて、郵便受けにはビニール袋の新聞が入っていた。この大雪に律儀にも配達してくれるとは、頭が下がる。
車が通れるようにするには本格的な雪掻きを無くてはならず、朝食後にすることにした。

朝食後に、腰痛ベルトを付け、軍手をはめ、長靴を履いていざと出ると、隣の奥さんが道路の中央付近に歩行用の道を作ってあった。それに沿ってスコップで雪をすくい、右に左にと道路端に放り投げる。昨日より倍積もっていて重く、結構な重労働で10分もすると汗がにじみ、休み休みの作業だ。一時間半をかけて陽で融けだしているところを除いてようやく市道に車の通り道を作り終えた。わが家から下の方は、夜中にずっと水を流していたり、何軒かの人が出て一緒に雪をどけたりで道が開いていた。
この分なら100m強の市道が繋がっている上と下の両県道の除雪がされると、この道も車が通れるし、自分も車が出せる。
車の屋根の雪を下ろし、駐車場と道の間の雪を搔いて作業を終わり、時計を見ると11時前だった。

玄関脇の庭猫の小屋を覗くと、箱の中にまで届く陽を浴びて眠っている。この分なら、道の雪融けも進む筈だ。
県道が開いたのか、3時過ぎには書斎の窓の方から車の音が聞こえた。

霜柱を削って庭掃除

2018-01-12 (Fri) 14:22[ 編集 ]
今朝は、この冬一番の冷えだ。冬型の気圧配置で新潟県では大雪で430人もの列車閉じ込めが発生したとニュースが言っている。
朝食前に、地蔵の水換えと鉢植への水遣りにと外に出るとゾクッと来る寒さだった。
庭の水道栓、井戸の蛇口は凍てついてハンドルが廻らない。その為、バケツに張った氷を割り、洗面所からお湯を運んで掛けた。水道は勢い良く出るようになったが、井戸はハンドルは廻るものの、一向に出なかった。

庭の平坦な場所は、霜柱がびっしり出来ていて、歩くとザクザクと心地良い。
狭い庭だが、夏になると雑草が伸びて見栄えが悪くなり、幾度も草刈りをしなければならない。抜本策として除草剤を使えば容易いのだが、近くに井戸があり、また庭猫の体にも悪いので、使うことはしない。防草シートを庭に張り詰めても草は生えて来ないが、強風だと飛ばされるし、何より庭が黒いシートで覆われる様は頂けない。
そこで少し前から、霜柱で浮き上がった地表を鍬で根っこごと搔き取って居る。これをしても夏の盛りには生き延びた雑草が生えることにはなるが、草刈りの回数は確実に減った。

昨日の夕方に「冷え込む」との予報を聞いて、霜柱が出来るよう庭に水撒きをしておいた。
そして今朝、長い霜柱が出来、融けないうちにと朝食を後回しにして、草削り鍬で作業にかかった。
霜柱が長い場所は鍬が霜柱の下の凍った地面に届き、ザザザッと引くと霜柱と一緒に雑草の枯れた葉や根が削られる。普段通り道となって踏み固まっているような所は、霜柱が出来ず、ガリガリと表面を削るだけだ。こうして削り取った土を三箇所にまとめたが、草や氷の塊が混ざってこんもりとした小さな山になった。
30分ほどで平らな所の作業は終了、吐く息は白いが、体は温まった。

庭から玄関への階段を上がると、玄関へのアプローチに庭猫が朝の陽射しを浴びながら毛繕いをしていた。
家に入ると、家猫も窓際で目を閉じて日向ぼっこをしていた。

初詣、変わっていく街・電車・明神様

2018-01-06 (Sat) 15:42[ 編集 ]
「正月は如何でしたか」と聞かれる。元日に長男と次男の夫々の一家が年始で集まったが、それを過ぎれば神田明神への初詣以外は極不通の日常に戻っている。
元日の集まりでは、長男の1歳8カ月になる孫娘がはしゃいで駆け回ったりして賑やかだったので、以降の静かな生活とのギャップは大きい。

初詣は、毎年判で押したように、元旦に近くの神社に車で行く。境内も社殿も初詣を始めてから40年来変わりなく、正月と祭のときだけ氏子が出てテントの仮社務所や屋台を出している。今年も家族の無病息災を祈願してから仮社務所でお札を頂き、甘酒と焚き火で暖をとった。

そして、これも恒例でお茶の水まで出向き、神田明神にもお参りをして来た。商売繁盛では霊験あらたかとあって、企業の初出勤日には企業トップの祈祷は拝殿に上がってだが、本殿前では職場仲間と連れ立っての人達の参拝で長い行列が出来る。今年はその混雑を避けて5日に行くことにしていたが、天気予報が雪の可能性もと言っていたことから、行列覚悟で4日に行くことにした。

地下鉄を降りて地上に出て眼前が開けると聖橋だ。この橋は、完成後90年も経って老朽化から超寿命化工事が進められ、今年の3月にはそれも完了するという。
30年弱 御茶ノ水駅近辺に勤めたが、この橋から観る景色が好きで、一番印象にも残っている。渡っている橋が工事でどのように変わっているかは足の下で見えないが、神田川の上流の水道橋方面を見ると巨大クレーンが高く伸び、御茶ノ水駅のリニューアル化工事が進められているのが分かる。その奥には、退職後10年の間に建ったビルが沢山見えた。下流の方面を眺めると秋葉原周辺に高層のオフィスビルがいくつも出来ている。

眼下に目を移すと、運よく中央線・総武線・地下鉄丸の内線の3路線同時に電車が見られた。中央線の車体は銀のベースにオレンジ色の帯、総武線は黄色い帯、丸の内線は赤い帯だ。少し前まで、電車の色は帯の色ではなく全体が今の帯の色に塗装されていたのだが、街が変わっていくように電車の姿も変わりつつある。

聖橋は、湯島聖堂とニコライ堂という両岸に位置する二つの聖堂から命名されたと聞くが、その湯島聖堂に入って手を合わせ、次の明神様に向かった。
交差点に差し掛かると、本郷通りが通行止めされ、参道までの数十メートルにびっしりの人の列が見えた。案の定だが、覚悟してきたことで仕方なく並ぶことに。飽きるほど待たされ、随神門をくぐって境内に入ったが、ここも人で満杯。そこから30分ほどでようやく賽銭箱の端に着き、家族の無常息災と長男宅の安産を祈願することが出来た。並んだ列の横の神札授与所に混雑はなく、目的の天照大神のお札、交通安全と安産のお守りを頂いた。
帰りの通路を行くと、昨年まで駐車場だった場所が建設中のシートで覆われていた。脇の案内板では、神社創建1300年記念事業として文化交流館が建つらしい。ここもまた大きな建物に囲まれるようだ。

隋神門前の参道まで戻り、待ちくたびれた顔の人たちの列を横目に、三河屋に寄り、店先で350円の延寿甘酒で体を温めた。

懐かしの高校時代

2017-11-26 (Sun) 15:25[ 編集 ]
首都圏在住の高校の同学年の者の会が恒例で勤労感謝の日の前日に開かれ、今年も22日にあった。

団塊世代は、1947年から1949年生まれで、その合計は約800万人といわれるほど多い。出身は長野県松本の県立だが、学年400人と多く、A~Jの10クラスに分かれていた。授業は1時限65分で、個人別に選択した二週単位の時間割。その上、クラスのホームルームは、二週間に一回30分だけで、クラスの半分以上は授業でも顔も合わせないし、顔は合わせても二週に1~2度という者が多かった。従って同級会というものは成り立たなく、同学年の会となる。ちなみにクラスに女性は3名で、相当モテたらしい。
首都圏には2割の80名ほどが在住しているが、それが”老後は田舎で”と帰ったり、亡くなったりして、徐々に少なくなっているようだ。
会には毎年十数名しか集まらないが、今年はこれまでに最少の10名だけだった。

昨年は常連の一人が亡くなったことから乾杯は献杯に変わった。今回も昨年の会に顔を出していた元気者が膵臓癌で春先に急逝。高校時代は短距離選手で有名なハンサムボーイで、会でもその後のモテぶりなどを話して、みんなを笑わせたものだった。一年で亡くなった全同学年のものは7名にもなるという。そんな献杯をした後は、例年通りわいわい・がやがや 好き勝手に話し始めた。

古希に近づいた同年の集まりで、自営業や企業人の現役が半分。話題といえば、ご多聞に漏れず体調のことから始まり、中には墓の話をする者もいるが、暗くならないのが良い。そのうちに、誰が何をしているという話題になった。企業ならばとっくに定年となっている歳だが、現在有名な神社の宮司をしている者、村長に当選した者、逆に市長選で惜敗した者、大学の教授を続けている者などなど。
会に初参加の者が、音大のナンバー2になっている者が居て訪ねたという話をして、良く聞いてみるとその学部長・教授は、高校時代に取った授業が多くて良く話していた者で懐かしい。早速コンタクトを取ってみることにした。

とり止めも無い話でオーダーストップの時はあっという間に来て、来年の会はの話になった。古希前だが記念に松本の本会にこちらが合流する形で秋に開催するという。多くの意見が、それも良いが東京の会も万年幹事の下で開催して欲しいということになった。

一年ぶりの池袋の居酒屋を後にしても、帰りの電車が一緒の者との話しが尽きず、50年も前に学び舎を一つにした仲間との楽しい時を持てた。

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出身:長野県安曇野市
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